大学受験英語besの責任者をしながら、こういう話を書くのは恥ずかしいのですが、事実ですし、勇気を持ってくれる中高生もいるかもしれませんので、書いてみます。
中学生時代は英語は得意でした。
何度も反復できるような授業をして下さった、当時の塾の先生には感謝しています。
しかし、高校入学後は、その塾には高校生コースがありませんでしたので、一人でやらなければなりませんでした。
頼れる存在がいなくなったこともあり、英語は大の苦手科目になります。
全くわからない。ちんぷんかんぷんでした。
ある英語の先生からはバカにされていました。
しかしながら、中学生のころから、自分は将来必ず英語がペラペラしゃべれるようになると決めていました。
まだまだペラペラには程遠いのですが、それでもだいぶできるようにはなりました。
高校時代は英語ができなくなったのですから、憧れるような大学には入れません。
不本意ながら、ある大学に入学しました。
しかし、この大学で、人生の師とも呼べる多くの教授との出会いがありました。
人生とはわからないものです。
大学在学中に、大学を卒業したらオーストラリアに留学しようと計画を立てました。
今から思えば拙い計画なのですが、当時は必死です。
日本を離れる数日前に、恩師の一人のアメリカ人教授のところに挨拶にお邪魔しました。
その教授は、その業界では有名な方で、今でも現役で活躍されています。
教授に、もうすぐオーストラリアに出発します。お世話になりました。
と言いましたら、教授がこう言ったのです。
『君は、いきなり大学や大学院に行くのではなく、まずは英語をものにする予定ですね?それならば、言っておきたいことが一つあります。日本の地を離れるその瞬間から、日本に帰国して日本の地に一歩足を踏み入れるその瞬間まで、日本語を話してはならない。そうでなければ行く意味がないし、行くのを認めない。それが約束できるなら行ってらっしゃいと応援できる。』
一瞬びっくりしましたが、私はその教授の言葉の意味が良くわかりました。
海外に留学しても日本人同士で固まって、日本語ばかりしゃべり、留学した意味がないというような話も聞いていました。
教授のことも非常に尊敬していましたので、すぐにYesと答えました。
約束を守るのはかなり難しいことでした。
オーストラリアに渡ると、すぐに、”Are you Japanese?”と日本の方に聞かれます。
最初は、”No”と答えていました。教授との約束もありますし、日本の方と接するために来ているわけではない訳なので、そうしていました。
しかし、そんな嘘はすぐにばれますので、日本の方は親しく話しかけてくれます。
私は、英語で説明をして、相手は日本語、私は英語というスタイルが日本の方と接する時には完成しました。
帰国後、先ほどの教授とは別の教授のところに挨拶にお邪魔しました。
在学中はあまりわかっていなかった教授の英語が、ほとんど理解できました。
その瞬間、私の英語にbreakthroughがきました。
これが、私の英語が飛躍的に伸びた契機です。
話は全く変わりますが、サッカー日本代表で大活躍している選手に、海外のチームで活躍している選手がいます。
大きな成長を遂げて、日本代表でも大活躍です
海外のリーグがレベルが高いということもあるとは思いますが、それよりも、友人知人がいない環境で、厳しいプロサッカーの海外リーグで活躍するためには、朝から晩までサッカーのことを考え、朝から晩まで練習し、試行錯誤を繰り返しているのだと思います。
つまり、サッカーに完全に没頭しているのではないでしょうか。間違えているかもしれませんが、そう感じています。
人生の一時期、何かに没頭することは、大きな飛躍をもたらすのではないでしょうか。
最終的には英語で夢を見るまでになりました。
没頭する大切さを学びましたし、何かコツのようなものを獲得したように感じました。
大学受験英語besの生徒さんにも、何か大きな契機をプレゼントしたいなと思います。
ですので、要求するレベルは高いと思いますし、妥協は許されません。
そういう意味では厳しい環境です。